民族楽器「ディジュリドゥ」の使い手のGOMAさんは1973年1月生まれの大阪府出身です。
2009年、交通事故に遭い高次脳機能障害により記憶力が減退し、活動休止を余儀なくされます。
しかし、2年後にFUJIROCK FESTIVAL’11で奇跡の復活を遂げました。
同時に、事故後から光の世界を描き始め、画家としても めざましい活動を続けています。
2021東京パラリンピック開会式では、音と光の演出で世界中にポジティブなエネルギーを届けました。
そんなGOMAさんの半生が『激レアさんを連れてきた。』で放送されます。
『プロミュージシャンだったけど交通事故に遭い演奏も楽器のことも全部忘れちゃった代わりにとんでもない特殊能力に目覚めた人』として紹介されます。
GOMAさんや、楽器ディジュリドゥについて、まだ知らないことを一緒にみていきましょう。
ディジュリドゥとの出会いが衝撃
HIP HOPのダンサーとして活動していたGOMAさんが、ある日 スタジオで見かけて『ちょっと吹いてみた!』というのが出会いの始まりです。
なかなか簡単にできるものじゃない、と聞いていたが 吹いてみるとすぐにできてしまったのでした。
面白い!っと感じた その楽器はオーストラリアの先住民族アボリジナルの伝統楽器で、世界最古の管楽器とも言われるディジュリドゥでした。
不思議な感覚で、「これはやった方がいいぞ!」という本能的に共鳴する何か、得体の知れない直感があったそうです。
ずっと吹き続けていましたが、独学の限界も感じ 本物を知るためにオーストラリアで修行することを決意したのでした。
そして、オーストラリアで本場の演奏を見た瞬間、完全に振動そのものな、バイブレーションの世界に「何やこの楽器は!」と圧倒され、少しの間は吹けなくなるほど衝撃的過ぎた体験をしたのでした。
それは、儀式などで使われる聖なるものだけど、遊びながら吹いたりもして、アボリジナルの生活に溶け込んでるものだったのです。
そもそも大自然の中で吹くものなので人々の魂を掻き立てて、悪いものを退散させたりする時に使う道具だから、その感覚の違いも衝撃的だったそう。
実際にアボリジナルたちと寝食を共にしてディジュリドゥ中心の生活を送り、1998年に現地で開催されたコンペディションで準優勝をしました。アボリジナルカルチャーの歴史に名を刻む快挙と言える初受賞となったこの出来事は各国でも話題になったそうです。
アボリジナルの権威を取り戻した審査員代表の人物から『この賞を取ったことを、国に帰ってみんなに伝え、広めなさい』と、今後の活動を大いに後押しするような大切な言葉をもらったのでした。
それ以来「広めなさい」という言葉が、ずっとGOMAさんの中に残る事になるのでした。
次のステップとして、イギリスに行き、マーケットが毎週開催される環境に身をおき、そこで枠をもらって演奏していたそうです。知り合いを増やすために、マーケットに5本指の靴下屋を出店し、日本から取り寄せて自分で染めてたものを売っていました。それが、忍者ソックスすごい!と、めちゃくちゃ売れてしまってまさかの靴下ビジネスが軌道に乗りかけたそう(笑)。
事故後の回復と特殊能力が衝撃
日本を離れて4年が経ち、オーストラリアやイギリスでの経験を得た上で、日本で再び活動することになったGOMAさん。
日本でも フェスやパーティーカルチャーが立ち上がっていた頃でした。
歩もうと思って進んでいく道がどんどん拓け、ディジュリドゥアーティストとして『広める』地位を築き上げていく中で、2009年の11月に首都高速道路で交通事故に巻き込まれたのでした。
当然、音楽活動は休止せざるをえない状況でした。高次脳機能障害の症状により事故直後は、5分前、10分前の記憶も消えていく状態だったそうです。
そうした中、GOMAさんは事故後まもなくしてから絵を描くようになりました。
無意識のうちに何かを描いて残すことで、たとえその日の記憶が消えたとしても、「昨日はこれを描きながら頑張って生きてたんだ!」って分かるために。
自分を安心させるための行為だったと話しています。
事故の後遺症で、痙攣を起こして突然倒れてしまう事が何度もあり、意識が戻って来る瞬間は、いつも光の中を通って出て来る感覚があって、その光景をモチーフとして描いてるのだと言います。
作品はGOMAさんにしか見えない世界から生まれたものなのですね。
事故から10年以上経ち、40代後半になってき、この脳と共存する道を選んだ!と覚悟し、これまでも何十回と倒れて、復活して、、を繰り返す度に見てきた光景だけれど、その光景を改めて深く観察できるようになったのかもしれないと思ったそうです。
「こっちの世界に近い光と奥の方では光の質も全然違っていて、奥の方は真っ白が強い光。そして、こっちの世界に近づくにつれて色彩の感覚も回復してくるので、色が段々と付いてくる感じ。」と語ります。
誰もが見ることのできない世界を描写した作品は、その緻密さと色彩から目が離せません。
まるで吸い込まれるようで、また抜け出していくような、不思議な感覚になります。
映画、フラッシュバックメモリーズ3Dの衝撃
2013年1月19日公開されたこの映画は、松江哲明監督が手掛けた、リハビリを経て奇跡の復活を成し遂げた彼の姿をとらえたドキュメンタリー作品です。
「記憶の一部が消えてしまう」「新しいことを覚えづらくなる」といった後遺症に悩まされ、一時はディジュリドゥが楽器であることすらわからないほど記憶を失うこともあったGOMAさん。
リハビリ期間を経て再びステージに上がる姿を、本人(GOMAさん)と、妻すみえさんの日記を交えて振り返ります。
突然異なる映像が頭の中に飛び込んでくる症状「フラッシュバック」をアニメーションによる映像を交えて描く異色作です。
第25回東京国際映画祭コンペティション部門 観客賞を受賞しています。
東京パラリンピック開会式の光る演出が衝撃
東京パラリンピック開会式に出演したGOMAさんは、光るトラックのをディジュリドゥで表現することをテーマにしていました。
楽器を吹いてるというよりも会話してるような、躍動するライブでした。
GOMAさん自身は「周りのみんなに新しい自分を引き出してもらった」と話しています。
音のうねりを感じ、「あらゆる障害、差別、偏見を超えて誰もが持っているポジティブなエネルギーがここから世界中に広がっていくことを願う」思い込めた斬新な演出でした。
GOMAさんがの半生が衝撃
ディジュリドゥと出会ってから 人生が新た方向に動き出し、事故から復活して再起動することで、また新たな歩みがスタートしたGOMAさん。
やりたかったことは、ディジュリドゥや 絵を通して自身の生き方を伝えるだけでなく、生きる事・諦めない事に接する時、誰かの背中を 力強く押すことができる、そんな半生をGOMAさんは見せてくれているのだと感じます。
谷川俊太郎さんとのコラボした作品展も開催されました。
まとめ
「壮絶」としか言いようのない現実を受け入れ、どうしようもないほどの切実な「生」の実感がGOMAさんの表現する中に見ることができ、感じることができます。
ディジュリドゥを広めることだけでなく、事故を経て復活するということは、たくさんの人の希望になると思います。
時代や環境のせいで諦めることなく、今の自分で生み出せる新しい世界を見たい願う事の大切さ。
気持ちの持ち方で、日々はどんどん変わっていくものなのだ!と自信を持たせてくれます。
生命力溢れる音楽・美しい配色に自然と涙が流れてくるような感覚を持つのは、きっと私だけではないと思いました。
GOMAさんのこれからの、活動・作品がますます見たくなりました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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