こんにちは!とめとです。
突然の訃報に、言葉を失ってしまいました――。
日本ゴルフ界のレジェンド、「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司さんが2025年12月23日、78歳でこの世を去りました。
国内ツアー94勝という前人未到の記録を打ち立て、多くのゴルフファンに夢と感動を届けてくれた偉大なゴルファーです。
私も20代の頃にゴルフをやっていたので、ジャンボ尾崎さんの名前は特別なものでした。
その圧倒的な存在感と、努力を積み重ねて築き上げた実績には、本当に頭が下がります。
SNSでは「死因は何だったの?」「病気だったの?」「いつから闘病していたの?」という声が多く見られます。
この記事では、ジャンボ尾崎さんの死因や病気、闘病生活について詳しく調べてまとめました。
ゴルフ界に偉大な足跡を残した尾崎将司さんの最期について、気になる方はぜひ最後まで読んでみてくださいね。
ジャンボ尾崎さん死去 死因はS状結腸がん(ステージ4)
2024年12月24日、ゴルフ界に悲しいニュースが駆け巡りました。ここでは、尾崎将司さんの訃報と死因について詳しくお伝えします。
12月23日に78歳で逝去 長男・智春さんが発表
プロゴルファーの尾崎将司さんは、2025年12月23日午後3時21分、78歳で永眠されました。
訃報は翌24日、長男の尾崎智春氏によって発表されました。
葬儀は故人の遺志により近親者のみの家族葬として執り行われ、後日お別れの会が開催される予定です。
日本ゴルフ界の象徴として、昭和から平成にかけて輝き続けた偉大なゴルファーの突然の訃報に、ゴルフファンだけでなく多くの人々が悲しみに包まれています。
智春さんは発表の中で、約1年前にがんと診断された後も、本人の強い意志で自宅療養を続けていたことを明かしました。
最期まで家族と過ごす時間を大切にされた姿に、尾崎さんの人柄が表れていますね。
死因は「S状結腸がん(ステージ4)」
尾崎将司さんの死因は、S状結腸がん(ステージ4)でした。
S状結腸がんとは大腸がんの一種で、大腸の末端部分に位置するS状結腸に発生するがんです。
ステージ4は、がんが他の臓器に転移している最も進行した段階を意味します。
尾崎さんの場合、約1年前にこの診断を受けていたとのことです。
大腸がんは日本人に多い病気で、特に男性の死亡原因としては高い割合を占めています。
S状結腸は便が通過する部分であるため、早期発見が重要とされていますが、初期段階では自覚症状が少ないことも特徴です。
ステージ4という診断は、患者さんやご家族にとって非常に厳しいものだったと思います。
それでも約1年間、ご家族と共に過ごす時間を選ばれた尾崎さんの決断には、深い意味があったのでしょう。
いつから病気だった?がん発覚から死去までの経緯
ジャンボ尾崎さんは、いつ病気が分かったのでしょうか。
ここでは、がん発覚から死去までの経緯を時系列で見ていきます。
2024年にS状結腸がんと診断される
尾崎将司さんがS状結腸がん(ステージ4)と診断されたのは、2024年の年初頃、約1年前のことでした。
長男の智春氏の発表によると、「約1年前に診断後、本人の強い意志により自宅療養を続けていた」とされています。
実は2024年2月、尾崎さんは「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーセレクション」の審査会を体調不良で欠席していました。
当時は「発熱のため」と説明されていましたが、すでにがんと診断された後だった可能性があります。
ただ、尾崎さんはその後もアカデミーの門下生たちを見守り続け、弟子たちの活躍に目を細めながらエールを送っていたそうです。
病と闘いながらも、最後まで後進の育成に情熱を注ぐ姿は、まさにレジェンドにふさわしいものでした。
約1年の闘病生活
診断から死去まで、尾崎さんは約1年間の闘病生活を送られました。
ステージ4という進行したがんとの闘いは、想像を絶する辛さがあったと思います。
この1年間、尾崎さんは本人の強い意志で自宅療養を選択されました。
病院での治療ではなく、住み慣れた自宅で家族と過ごす時間を優先されたのです。
私も家族の闘病を経験したことがあるので分かりますが、自宅療養を選ぶということは、残された時間を大切な人たちと心穏やかに過ごしたいという想いの表れなんですよね。
医療的な治療よりも、QOL(生活の質)を重視された決断だったのでしょう。
関係者によると、闘病中も弟子たちの活躍をニュースで見ては喜び、アカデミーの活動に関心を持ち続けていたそうです。
最後まで責任感を持ち続けた尾崎さんの姿勢に、深い敬意を感じます。
闘病中の生活は?本人の意思で自宅療養を選択
尾崎将司さんは、がんと診断された後どのような生活を送っていたのでしょうか。
ここでは、闘病中の様子について詳しく見ていきます。
自宅で家族と過ごした最期の日々
尾崎将司さんは、本人の強い意志により自宅療養を選択されました。
これは、病院での積極的な治療ではなく、住み慣れた環境で家族と共に過ごす時間を何より大切にしたいという、尾崎さん自身の決断でした。
ステージ4のがんという診断は、根治が難しい状態を意味します。
そのような中で、残された時間を自分らしく、そして大切な家族と一緒に過ごすことを選ばれたのです。
自宅療養では、家族の介護やサポートが欠かせません。
長男の智春さんをはじめ、ご家族の献身的な支えがあったからこそ、尾崎さんは安心して最期の時間を過ごせたのでしょう。
私も「ゆるやかに」「まろやかに」を大切にしている人間なので、尾崎さんの選択には深く共感します。
人生の最期をどう過ごすか――それは誰にとっても大切な問いですが、尾崎さんは自分の信念を貫かれたんですね。
アカデミー活動への影響は?
尾崎将司さんは、「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を主宰し、原英莉花さん、西郷真央さん、笹生優花さんなど、多くのトップ選手を輩出してきました。
闘病中も、弟子たちの活躍を心から喜び、エールを送り続けていたそうです。
2024年2月のセレクション審査会は体調不良で欠席されましたが、代役として金子柱憲氏らジャンボ軍団のメンバーが審査を務めました。
アカデミーの活動は、尾崎さんの闘病中も継続されていました。
弟子たちもまた、師匠の期待に応えるべく、ツアーで懸命に戦い続けていたのです。
原英莉花さんは尾崎さんを「大師匠」と呼び、深く尊敬していました。
また、多くの女子プロゴルファーたちが、尾崎さんの指導なくして今の自分はないと語っています。
私も人と関わる仕事をしてきたので分かりますが、誰かを育てるということは、自分の時間やエネルギーを惜しみなく注ぐことなんですよね。
尾崎さんの後進育成への情熱は、これからも多くの選手の中に生き続けるはずです。
S状結腸がんとはどんな病気?
尾崎将司さんの死因となったS状結腸がんについて、詳しく説明します。
大腸がんの一種で日本人に多い部位
S状結腸がんとは、大腸の末端部分にあたるS状結腸に発生するがんです。
大腸がんの一種で、日本人に非常に多く発症する部位として知られています。
S状結腸は、大腸の中でも直腸の手前に位置し、アルファベットの「S」の字のように曲がりくねった形をしています。
便が通過する際に滞留しやすい構造のため、がんが発生しやすいとされています。
大腸がん全体で見ると、男性の死亡原因では肺がんに次いで第2位を占める重大な病気です。
特に食生活の欧米化により、日本でも年々患者数が増加しています。
大腸がんのリスク要因
・高脂肪・高たんぱくの食事
・運動不足 ・肥満 ・飲酒・喫煙 ・加齢(50歳以上でリスク増)
早期発見できれば治療の選択肢も広がりますが、初期段階では自覚症状が少ないため、定期的な検診が重要とされています。
ステージ4の意味と症状
がんの進行度は、ステージ0からステージ4までの5段階に分類されます。
尾崎さんが診断されたステージ4は、がんが他の臓器に転移している最も進行した状態を指します。
具体的には、「がんの深さやリンパ節転移にかかわらず、他臓器への転移を認めるもの」と定義されています。
つまり、肝臓や肺など、大腸以外の臓器にがんが広がっている状態です。
ステージ4の大腸がんで現れる主な症状には、以下のようなものがあります。
・血便や便秘、下痢などの便通異常
・腹痛や腹部の張り
・体重減少や食欲不振
・強い倦怠感
・貧血による息切れやめまい
・転移先の臓器による症状(肝転移なら黄疸、肺転移なら息苦しさなど)
ステージ4の5年生存率は約17%とされており、根治が難しい段階です。
この段階では、治療は主に症状緩和や延命が目的となります。
尾崎さんも、このような厳しい状況の中で約1年間闘病されました。
その辛さは想像に余りありますが、最後まで尊厳を持って生きる道を選ばれたのだと思います。
ジャンボ尾崎さんの簡単プロフィール
ここで、改めてジャンボ尾崎さんのプロフィールをご紹介します。
生年月日と享年78歳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 尾崎正司(おざき まさし) |
| プロ名 | 尾崎将司 |
| 愛称 | ジャンボ尾崎 |
| 生年月日 | 1947年1月24日 |
| 没年月日 | 2024年12月23日 |
| 享年 | 78歳 |
| 出身地 | 徳島県海部郡宍喰町(現・海陽町) |
| 出身校 | 徳島県立海南高等学校 |
尾崎将司さんは、1947年1月24日に徳島県で生まれました。
高校時代は野球部のエース投手として活躍し、1964年の選抜高校野球大会で優勝を果たしています。
1965年にプロ野球・西鉄ライオンズに入団しましたが、実働3年で退団。
21歳からゴルフを始め、1970年に23歳でプロテストに合格しました。
180cmを超える長身と豪快なドライバーショットから、70年代に米国から輸入されたジャンボジェット機にちなんで「ジャンボ」というニックネームで呼ばれるようになりました。
国内ツアー94勝のレジェンド
ジャンボ尾崎さんの輝かしい実績を簡単にご紹介します。
・国内ツアー通算94勝(史上最多記録)
・プロ通算113勝(世界プロツアー最多記録)
・賞金王12回(1994年から5年連続を含む)
・年間最多勝9勝(1972年)
・世界ランキング最高位8位
プロデビュー2年目の1971年、「日本プロ」で初優勝を飾ると、その後わずか3カ月で5勝を挙げ、一気にスターダムへ駆け上がりました。
1980年代から90年代にかけては、青木功さん、尾崎健夫さん(ジェット尾崎)、尾崎直道さん(ジョー尾崎)らと共に「AON時代」を築き、日本ゴルフ界の黄金期を作り上げました。
2002年の全日空オープンでは、55歳7カ月29日でツアー史上最年長優勝を記録。
引退後は「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を主宰し、笹生優花さん、原英莉花さん、西郷真央さんなど、多くのトップ選手を育成しました。
私も20代の頃ゴルフをやっていましたが、ジャンボ尾崎さんの存在は別格でした。
その圧倒的な実績と、地道な努力を積み重ねる姿勢は、スポーツの枠を超えて多くの人に影響を与えてきましたね。

世間の反応やSNSの声 追悼コメント続々
ジャンボ尾崎さんの訃報を受けて、SNSや各方面から追悼のコメントが寄せられました。
日本ゴルフツアー機構(JGTO)の諸星裕会長は、「日本ゴルフ界の発展に多大な貢献をされた」と哀悼の意を表明しました。
また、ジャパンゴルフツアー選手会会長の谷原秀人氏は、「長嶋茂雄さんを崇敬されていた尾崎さんが、長嶋さんのすぐ後に旅立たれたことに運命的なものを感じる」とコメントしています。
原英莉花さんは「大師匠」として尾崎さんを深く尊敬していたことで知られており、これまでのインタビューでも何度も感謝の言葉を口にしていました。
上田桃子さんもインスタグラムで追悼を表明。
「幼少期にテレビで見た憧れの存在だった」「ジャンボ邸での指導の思い出が忘れられない」と綴りました。
SNS上では、「ゴルフ界のレジェンドが亡くなるなんて信じられない」「日本ゴルフ界に火をつけてくれた偉大な方」「特徴的な襟足を伸ばしたスタイルが印象的だった」など、多くの追悼の声が寄せられています。
また、「努力と誠実さで頂点を極めた姿は、多くの人の心に残る」「後進の育成にも尽力された功績は計り知れない」といった、尾崎さんの人柄や業績を称える声も多く見られました。
ゴルフファンだけでなく、幅広い世代の人々に愛され、尊敬されていたジャンボ尾崎さん。
その存在の大きさを、改めて感じさせられる反応でした。
まとめ:ゴルフ界の偉大なレジェンドが遺したもの
ジャンボ尾崎さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
・2024年12月23日午後3時21分、78歳で死去
・死因はS状結腸がん(ステージ4)
・約1年前にがんと診断され、本人の強い意志で自宅療養を選択
・最期まで家族と共に過ごし、弟子たちの活躍を見守り続けた
・国内ツアー94勝という史上最多記録を持つレジェンド
・引退後も後進の育成に尽力し、多くのトップ選手を輩出
・ゴルフ界だけでなく、多くの人々に夢と感動を与え続けた
ジャンボ尾崎さんの努力を積み重ねる姿勢、誠実な人柄、そして後進を育てる情熱――それらすべてが、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
私も「努力」や「誠実さ」、「人との絆」を大切にしている人間なので、尾崎さんの生き方には深く共感します。
病と闘いながらも、最後まで自分らしく、家族や弟子たちと向き合い続けた姿は、本当に尊敬に値します。
日本ゴルフ界の象徴として、昭和・平成・令和と時代を超えて輝き続けたジャンボ尾崎さん。
その偉大な足跡は、これからも多くの人々の心に刻まれ続けるでしょう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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