吉田雪乃(スピードスケート)『スケート大嫌い』でも五輪へ!恩師と家族の支えとは?

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こんにちは!とめとです。

スピードスケート選手の吉田雪乃さんが、2026年ミラノ・コルティナ五輪の代表に選ばれましたね!実は彼女、インタビューで「スケートは大嫌い」と公言しているんです。それなのに、なぜ五輪を目指せるまでになったのでしょうか?

今回調べてみて分かったのは、恩師・植津悦典さんとの出会いや、家族の温かいサポートがあったからこそ、ここまで頑張ってこられたということ。吉田雪乃さんの素直で率直な態度に、私も心を動かされました!

この記事では、吉田雪乃さんが「スケート大嫌い」と語る理由や、それでも続けてこられた背景、恩師や家族のエピソードについて詳しくまとめました。気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!

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吉田雪乃が「スケート大嫌い」と公言!その真意とは?

吉田雪乃さんといえば、2024年にワールドカップで初優勝を果たし、一躍注目を集めた新星スケーター。でも驚くことに、彼女は数々のインタビューで「スケートは大嫌い」と繰り返し語っているんです。

この発言を初めて知った時、私も「えっ、本当に?」と驚きました。トップアスリートが自分の競技を「嫌い」と公言するなんて、なかなか聞かないですよね。でも、その裏には彼女の正直な人柄と、それでも競技を続ける深い理由があったんです。

いつから、なぜ嫌いになったの?

吉田雪乃さんがスケートを始めたのは小学4年生の時。3歳年上のお兄さん・琉太郎さんが練習する姿を見学に行った際、寒い中で待っているのは大変だろうと指導者から「一緒にやらないか」と誘われたのがきっかけでした。

実は、スケートを「嫌い」と感じ始めたのは最初からだったそうです。インタビューでこう語っています。

「寒い、靴は痛い、練習がきつい。どれも始めた小学生の時から変わらない」

そして最近のインタビューでは、さらに率直にこんなことも。

「大っ嫌いです。つらいし、寒いし、お金がかかるし、好きな所が何一つない」

ここまで正直に言い切るのは、逆に潔いですよね!私は過去にバスケットやテニスをやっていましたが、競技って楽しい瞬間もあれば、きつくて辞めたくなる瞬間もある。でも「嫌い」と公言してしまうのは、なかなか勇気がいることだと思います。

さらに、吉田選手は高校時代と現在の「嫌い」の質について、こんなユニークな表現もしています。

「高校の時とはまた違う”嫌い”。高校の時はまだましだった」

競技レベルが上がるほど、練習の厳しさも増していく。そのリアルな気持ちを隠さず語る姿に、私は逆に好感を持ちました。きっと、同じように辛い練習を積んでいる若いアスリートたちにも、勇気を与えているんじゃないでしょうか。

それでも続けてきた理由がある

では、なぜ吉田雪乃さんはスケートを続けてきたのでしょうか?

彼女は明確にこう答えています。

「そう思っていてもできる理由は、周りの人たちが支えてくれるので、その人たちに恩返ししたい気持ちで、今スケートを続けている」

そして特に強調するのが、恩師・植津悦典さんへの想いです。

「スケートは嫌いだけど、植津先生に恩返しがしたい」

この言葉、すごく心に響きませんか?競技そのものへの愛ではなく、人との絆が原動力になっている。私自身も、過去にブライダルコーディネーターの仕事で疲れ果てたことがありましたが、お客様の笑顔や同僚との絆が支えになっていました。

何かを続ける理由って、必ずしも「好きだから」だけじゃないんですよね。誰かのために頑張りたいという想いも、立派な原動力なんだと思います。

さらに吉田選手は、地元・盛岡への想いも語っています。

「好き嫌いよりも大事なのは、支えてくれている人たちが笑顔になってくれること」

この素直で誠実な姿勢が、吉田雪乃さんの最大の魅力だと感じました。

恩師・植津悦典氏との出会いが転機に

吉田雪乃さんの競技人生を語る上で欠かせないのが、恩師・植津悦典さんの存在です。植津さんは盛岡工業高校のスケート部顧問で、現在も吉田選手を指導し続けています。

この二人の関係性こそが、吉田選手を五輪選手にまで導いた最大の要因なんです。

盛岡工業時代に出会った恩師

吉田雪乃さんが植津悦典さんと出会ったのは、盛岡工業高校に入学した時。中学時代は陸上競技も並行していた吉田選手でしたが、仲の良い先輩を追うように高校からスケートを本格的に始めました。

植津さんは当時の吉田選手について、こう振り返っています。

「入学当初は『手が加えられていない感じ』だった」

つまり、まだ原石のような状態だったということですね。でも植津さんは、吉田選手の可能性を見抜いていました。

「手足が長くて、関節がすごく柔らかい。氷を捉える技術はあったが、体が細くてトレーニングについてこられなかった」

体格に恵まれていたものの、筋力が不足していた吉田選手。そこで植津さんは基礎を徹底的に叩き込む指導方針を取りました。

私は以前、図面を見る仕事をしていたのですが、基礎がしっかりしていないと、どんなに良いデザインでも成り立たないんですよね。スポーツも同じだと思います。地道な基礎練習の積み重ねが、後の大きな飛躍につながる。そんな植津さんの指導方針が、吉田選手には合っていたんでしょう。

植津先生はどんな指導をしてくれた?

植津悦典さんの指導方法には、大きな特徴がありました。それは「五輪」や「優勝」といった遠い目標を掲げるのではなく、毎日の練習メニューの意味を丁寧に説明し、一つ一つの課題をクリアさせていくというスタイルです。

植津さん自身、吉田選手の性格をこう分析しています。

「短期的な目的、目標があると強い。やると決めたらやる子。弱音は一度も吐かなかった」

だからこそ、大きな目標よりも、今日クリアすべき課題を明確に示すことで、吉田選手のモチベーションを維持してきたんですね。

また、練習環境も徹底していました。午前6時の朝練習のため、吉田選手は毎朝5時半に起床。その厳しい日々を、植津さんは見守り続けていたそうです。

高校2年時には、ユース五輪500メートルで銅メダルを獲得。しかし、それでも吉田選手は競技引退を考えていました。そんな彼女に、植津さんはこう声をかけたそうです。

「環境さえ整えば、5年後(の五輪で)メダルを狙える」

この言葉が、吉田選手の心を動かしました。私も人生の転機で、誰かの言葉に救われた経験があります。信頼している人からの一言って、本当に大きな力になるんですよね。

「恩返ししたい」という想いが原動力に

植津さんの献身的な指導を受け続けてきた吉田選手。だからこそ、彼女の口から何度も出てくるのが「恩返ししたい」という言葉です。

高校卒業後、吉田選手にはナショナルチームへの誘いが2度ありました。でも彼女はそれを断り、地元・盛岡に残ることを選択。盛岡市のビルメンテナンス会社「寿広」に就職し、植津さんの指導を受け続ける道を選んだんです。

通常、トップアスリートは最高の練習環境を求めて拠点を移すことが多いですよね。でも吉田選手は違いました。

「岩手は練習環境がよく、監督もいる。ずっとお世話になった岩手でスケートを続けたい」

この選択について、植津さんは現在もプレッシャーを感じながらも、指導を続けています。

「日本を代表する選手を預かることにプレッシャーを感じながらも、彼女の成長を見守りたい」

お互いを信頼し合い、支え合っている関係性。これって、単なるコーチと選手の関係を超えていますよね。人と人との絆そのものだと感じます。

私は「人と関わることが好き」な性格なので、こういう関係性にとても共感します。仕事でも趣味でも、結局は「誰とやるか」が一番大切なんですよね。吉田選手と植津さんの関係は、まさにそれを体現していると思います。

家族の支えも大きかった!吉田雪乃の家族構成

恩師・植津さんだけでなく、吉田雪乃さんを支えてきたのは家族の存在も大きいです。彼女の家族構成は、父・昭男さん、母・真由美さん、そして3歳年上の兄・琉太郎さんの4人家族。

家族仲はとても良好で、吉田選手のSNSには家族への感謝の言葉が何度も登場しています。

父親・母親はどんな人?

父親の吉田昭男さんは61歳(2026年2月時点)。大雪の日に生まれた娘に「雪乃」と名付けたそうです。素敵な名前ですよね!

昭男さんは、雪乃さんについてこう振り返っています。

「3歳上の活発な兄とは対照的に『ボーっとしていた』子だった。でも、スキーや自転車など上達は早く、何をやらせても器用だった」

幼少期はおっとりした性格だったけれど、運動神経は抜群だったんですね。一方で、現在の雪乃さんについては、こんなエピソードも。

「雪乃の『五輪に出る』という言葉を信じて、昨年9月にはミラノ行きの航空券を予約した」

娘の言葉を信じて、まだ代表が決まる前に航空券を予約してしまう。この信頼関係、すごいですよね!父親として娘を全力で応援する姿が伝わってきます。

母親の真由美さんは58歳(2026年2月時点)。具体的なエピソードは多くありませんが、家族の中で雪乃さんを温かく見守ってきたことが伺えます。

私も娘が二人いるので、子どもが何かに打ち込む姿を見守る親の気持ちがよく分かります。特にスピードスケートはお金もかかるスポーツ。経済的にも精神的にも、ご両親のサポートは計り知れないものがあったでしょうね。

兄がいる?家族のサポート体制

吉田雪乃さんがスケートを始めるきっかけを作ったのは、兄・琉太郎さんの存在でした。

当時中学1年生だった琉太郎さんが「スケートをやる」と急に言い出し、雪乃さんも一緒に見学に行ったところ、指導者から「一緒にやろう」と声をかけられたんです。

雪乃さん自身、こう振り返っています。

「兄が『スケートをやる』って急に言い出して、自分も一緒に見に行ったら『一緒にやろう』って声をかけてもらった」

もし琉太郎さんがスケートを始めていなかったら、今の吉田雪乃選手は存在しなかったかもしれません。兄妹の縁って、不思議なものですよね。

また、琉太郎さん自身も空手や少林寺拳法、陸上などさまざまな習い事をしていたそうで、活発な性格だったようです。姉妹でも兄弟でも、一人が何かを始めるともう一人も影響を受けることってありますよね。我が家もそうです!

家族が支えてくれたエピソード

吉田雪乃さんの家族は、いつも彼女を全力で応援してきました。

2026年2月のミラノ・コルティナ五輪には、スケートを始めるきっかけを作った兄・琉太郎さんや両親も現地に駆けつけることになっています。

また、地元・盛岡では母校の北陵中学校や盛岡工業高校の生徒たちが寄せ書きを制作。それを父・昭男さんが代理で受け取りに行くなど、地域全体で吉田選手を応援する体制ができているんです。

吉田選手は、そんな地元や家族への感謝をこう語っています。

「スケートは小学校の頃からずっと嫌い。好き嫌いよりも大事なのは、支えてくれている人たちが笑顔になってくれること」

家族だけでなく、地域の人たちみんなが支えてくれている。その想いに応えたいという気持ちが、吉田選手の大きなモチベーションになっているんですね。

私も家族と一緒に旅行に行ったり、愛犬とのんびり過ごしたりする時間を大切にしているので、家族の絆の大切さは本当によく分かります。誰かに支えられているという実感が、人を強くするんだと思います。

盛岡工業から五輪へ!成長の軌跡

それでは、吉田雪乃さんがどのように成長し、五輪選手にまでなったのか、その軌跡を追ってみましょう。

学生時代の実績と挫折

吉田雪乃さんがスケートを本格的に始めたのは、盛岡工業高校に入学してから。それまでは中学時代に陸上競技も並行していました。

高校時代の大きな実績は以下の通りです。

高校2年時:ユース五輪500メートルで銅メダル

この結果だけ見ると順調に見えますよね。でも実は、高校2年で結果を残した後も、吉田選手は何度も競技引退を考えていたそうなんです。

「スケートは嫌い」という気持ちはずっと変わらず、高校3年の時も「大学進学に合わせてやめる」とゴールラインを定めていました。

でも、そこで声をかけてくれたのが植津先生。「環境さえ整えば、5年後(の五輪で)メダルを狙える」という言葉に背中を押され、競技を続ける決断をしました。

挫折しそうになった時に、信頼できる人が手を差し伸べてくれる。これって、本当に大切なことですよね。私も過去に婚礼業務で疲れ果てて退職したことがありますが、その後の一人旅で生きる元気を取り戻せました。人生って、タイミングよく誰かが現れたり、何かが起こったりするものなんだと思います。

社会人になってからの躍進

2021年、盛岡工業高校を卒業した吉田雪乃さんは、地元・盛岡のビルメンテナンス会社「寿広」に就職。ナショナルチームからの誘いを2度断り、植津さんの指導を受け続ける道を選びました。

そして社会人になってから、彼女は一気に飛躍します。

2022年1月:世界ジュニア選手権500メートル2位、1000メートル優勝

ジュニアの世界大会で結果を残し始めた吉田選手。さらに、2024-25シーズンには大ブレイクします。

2024年11月22日:ワールドカップ第1戦(長野)女子500メートルで37秒74で初優勝 ・2024年11月:ワールドカップ第2戦(北京)女子500メートルでも優勝 ・2025年12月14日:ワールドカップ第4戦(ノルウェー・ハーマル)女子500メートルで37秒65で今季初優勝

ワールドカップ通算3勝!特に地元・日本の長野大会での初優勝は、大きな話題になりました。

また、2025年10月の全日本距離別選手権では、なんと北京五輪銀メダリストの髙木美帆選手に勝利!この快挙により、一気にメダル候補として注目されるようになったんです。

社会人になってからのこの躍進ぶり、すごいですよね。きっと、植津さんとの二人三脚での地道な努力が実を結んだんだと思います。

初の五輪切符獲得までの道のり

そして2026年、吉田雪乃さんはミラノ・コルティナ五輪の日本代表に選出されました!

ワールドカップでの好成績が評価され、自身初の五輪出場が確実に。吉田選手にとって、これは夢の舞台です。

五輪に向けて、吉田選手はこう語っています。

「悔い無く最高の演技を!4年間積み上げたものを全て発揮する。結果を出して、皆さんが笑顔になってくれればいい」

また、地元・盛岡での練習公開では、子どもたちに囲まれながらこんなことも。

「オリンピックでいろんな経験を積めたら。ベストを出し切って、順位を狙いたい」

スケートは「嫌い」でも、支えてくれた人たちのために全力を尽くす。その姿勢に、私も心を打たれました。

吉田雪乃さんの成長の軌跡を見ていると、努力と誠実さ、そして人との絆が、どれだけ人を成長させるかがよく分かりますよね。私自身、「努力や誠実さに心を動かされる」タイプなので、吉田選手の歩みには本当に共感します!

吉田雪乃の簡単プロフィール

それでは、吉田雪乃さんの基本プロフィールをまとめてみましょう。

年齢や生年月日は?

【吉田雪乃 基本プロフィール】 ・名前:吉田 雪乃(よしだ ゆきの) ・生年月日:2003年1月29日 ・年齢:23歳(2026年2月時点) ・出身地:岩手県盛岡市 ・身長:164cm〜167cm(情報源により異なる) ・体重:53kg

大雪の日に生まれたことから「雪乃」と名付けられたそうです。名前の由来が素敵ですよね!

身長については、情報源によって164cmと167cmの記載がありますが、成長期を経て現在は167cm前後と考えられます。スピードスケート選手としては標準的な体格で、手足が長く関節が柔らかいのが特徴だそうです。

所属チームや競技種目

【所属・競技情報】 ・所属:株式会社寿広(盛岡市のビルメンテナンス会社) ・競技種目:スピードスケート ・専門種目:女子500メートル、1000メートル(主に短距離) ・出身校:盛岡市立北陵中学校→岩手県立盛岡工業高等学校

大学には進学せず、高校卒業後は地元の寿広に就職。現在も盛岡を拠点に、母校・盛岡工業高校のリンクで練習を続けています。

恩師・植津悦典さんの指導を受け続けるため、ナショナルチームの誘いを2度断ったというエピソードもあります。地元・岩手への愛着と、恩師への信頼が伝わってきますよね。

【主な実績】 ・2020年:ユース五輪500メートル銅メダル ・2022年:世界ジュニア選手権500メートル2位、1000メートル優勝 ・2024年11月:ワールドカップ長野大会500メートル優勝(初優勝) ・2024年11月:ワールドカップ北京大会500メートル優勝 ・2025年12月:ワールドカップ・ハーマル大会500メートル優勝 ・2025年:世界距離別選手権500メートル6位、1000メートル8位 ・2026年:ミラノ・コルティナ五輪代表選出

ワールドカップ通算3勝という実績は、若手選手としては素晴らしい成績ですよね!

世間の反応やSNSの声

吉田雪乃さんの「スケート嫌い」発言や五輪出場について、SNSではどんな反応があるのでしょうか?調べてみると、応援の声がたくさん見つかりました!

【応援・共感の声】

「スピードスケートの吉田雪乃選手、顔面クチャって笑うの、めっちゃ可愛いんですけど!!髙木美帆選手にも頑張って欲しいけど、この笑顔は常にみたい!」

「吉田雪乃選手の正直さが逆に好き。スケート嫌いって言いながら頑張ってるの、応援したくなる」

「恩師や家族への恩返しのために頑張るって、素敵な理由だと思う」

【地元からの声】

母校・盛岡工業高校の公式アカウントからは、何度も応援メッセージが投稿されています。

「【#吉田雪乃 選手への応援メッセージ】#ミラノ・コルティナ五輪 に出場する本校卒業生の吉田雪乃選手にむけて応援メッセージを送ります」

スケート部の後輩たちや、盛工生・職員からのメッセージも続々と。地元・岩手全体で吉田選手を応援する雰囲気が伝わってきますね。

【実力への評価】

「ワールドカップ3勝はすごい!メダル候補として期待してます」

「髙木美帆選手に勝ったのは衝撃だった。新世代の登場を感じる」

「スタートが課題だったけど、コーチの指導で克服してきてる。成長が楽しみ」

吉田選手の強みは、世界最速のスタートダッシュを持つ及川コーチからの指導で、苦手だったスタートを克服しつつあること。さらに、独特の「3段階加速」という滑り方で、後半にかけてスピードを上げていくスタイルが注目されています。

SNSでの反応を見ていると、吉田選手の素直で率直な人柄と、努力を重ねる姿勢が多くの人の心を掴んでいることが分かりますね。私も彼女の正直さに魅力を感じました!

まとめ:嫌いでも続けられたのは「人との絆」があったから

吉田雪乃さんについて、この記事で分かったことをまとめます。

【要点まとめ】 ・「スケートは大嫌い」と公言しているが、それでも五輪を目指してきた ・嫌いな理由は「寒い、靴が痛い、練習がきつい、お金がかかる」と率直 ・小学4年生の時、兄・琉太郎さんの練習について行ったのがきっかけでスケートを始めた ・盛岡工業高校で恩師・植津悦典さんと出会い、基礎を徹底的に叩き込まれた ・高校卒業後、ナショナルチームの誘いを2度断り、地元・盛岡に残る道を選択 ・2024-25シーズンにワールドカップで通算3勝を達成し、急成長 ・家族構成は父・昭男さん、母・真由美さん、兄・琉太郎さんの4人家族 ・続ける理由は「支えてくれた人たちへの恩返し」という強い想い ・2026年ミラノ・コルティナ五輪の日本代表に選出

吉田雪乃さんの物語から伝わってくるのは、人との絆の大切さです。競技そのものへの愛ではなく、恩師・植津さんへの感謝、家族への想い、地元・岩手への愛着。それらすべてが、彼女を支え、五輪選手にまで押し上げたんですね。

私も「人と関わることが好き」で、「人との絆」を大切にしているタイプなので、吉田選手の生き方には本当に共感します。何かを続ける理由は、必ずしも「好きだから」じゃなくていい。誰かのために頑張りたい、誰かを笑顔にしたい。そんな想いも、立派な原動力なんだと思います。

ミラノ・コルティナ五輪では、吉田雪乃さんが恩師や家族、そして地元・岩手のみんなを笑顔にする滑りを見せてくれることを期待しています!私も全力で応援しますね。

吉田雪乃さんの新しい情報が入ったら、また追記していきます。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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