芳根京子が俳優を辞めなかった監督への思い(A-Studio+)

芸能人

芳根京子さんは、1997年生まれで東京出身の女優さんです。

俳優になるきっかけから、現在にいたるまでを調べてみました。

芸能界に入ったきっかけ

高校生1年生の時に友人と行った遊助(上地雄輔)さんのライブ会場でスカウトされた事がきっかけで芸能界に入ることを決めました。

それまでにもスカウトされた事はあったそうですが、全く興味はなかったと言います。

大好きな遊助さんのライブ関係者の方からのスカウトだっただけに心が傾いたそうです。

芸能界で活動することを決め、19歳の時にNHK朝ドラ『べっぴんさん』のオーディショで2200人以上の応募者の中からヒロイン役に選ばれました

過去に、朝ドラオーディションには3回挑戦していましたが、4回目でようやく主演の座をつかんだということです。

それにしても、芸能界入りを決めてから3年ほどで朝ドラヒロインの役とは、やはりスカウトする方の原石を見抜く力というものはあるものなのですね。

役者として諦めかけた時の 石川監督との出会い

その芳根京子さんが、「A-Studio+」に出演され、2021年に主演された映画『Ark アーク』の監督だった石川慶監督との大切な関係について語られています。

芳根さんは当時俳優活動を続ける事への葛藤があり、映画の出演を拒んでいたそうです。

しかし、直接会い監督の情熱に心が動いたということです。

芳根さんにとっては、今の自分があるのは、この映画に出演したことが大きな分岐点であったことを明かされていました。

芳根さんは、「オーディション荒らし」の異名を取っていたと噂されるほどで、今まで順風満帆に俳優の仕事を続けてきていたのかと思われていますが、実は 本人からすれば、全然違っていたのですね。

オーディションを受けても受からないことが多くこの噂については、強く否定されていました

実は朝ドラヒロインが決まったあとでも、オーディションには落ちまくっていたということです。。

石川監督は『Ark アーク』の主演のオファーを諦めきれず、芳根さんと直接話をして当時 彼女が大きな岐路に立っていたことを知り、「悩める芳根さんを見て、僕は(その映画の主人公)リナがいると思ったんです」と振り返ります。「自分にとって特別な作品のど真ん中に、芳根京子という特別な俳優が力強く立っていることが心から嬉しく、誇らしく思う」と言われました。
この映画の初日舞台挨拶で、芳根さんは「こんなに必要としていただけて、こんなに幸せなことはないなと思います」と感無量で涙が止まらないほどの様子で、感謝の気持ちを言葉にしていました。それほどに、大きな意味をもつ映画の仕事を監督と同じ熱量でする事で、俳優として更に成長されています。

難病の経験が人生に意味をくれた

芳根さんは、中学2年生でギラン・バレー症候群という、筋肉を動かす神経が障害を起し、両手両足に力が入らなくなる難病を発症しました。

1年間ほど学校に通うことにも出来ませんでしたが、その後克服されています。

症状は軽い方だったと話しますが、430万回分の1の確率で発症する病です。

亡くなることもある病気であるため、この病気で自分の命の重みを実感し、しっかりと自分を持つようになったと話されました。

このような、苦難やハンデを乗り越えた経験もまた、人生の意味を考え、みつける事ができ、そして今の芳根さんの輝きに繋がっているのだとわかりました。

最後に

最後に付け加えておきますと、芳根さんは「イマイチ感」が漂う、、、とか「地味顔」だとか言われることもあるそうなのですが、
どんな人が、この顔を見て地味っていうのでしょうか?と思ってしまいます。

生まれ変わってこの顔だったら、大喜びしたい!ですね、私だったら。
という事で芳根京子さんのことは これからも、注目していきたいと思います。
YouTubeの『生旅』でも、魅了が満載です。こちらも楽しみです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました