こんにちは!とめとです。
テレビ朝日「プラチナファミリー」で、バイオリニストの高嶋ちさ子さんと俳優の髙嶋政伸さんが共演するということで話題になっています。
実はこの二人、いとこ同士なんですが、長年にわたって絶縁状態だったことをご存知ですか?
「えっ、親戚なのに絶縁?」と驚きますよね。
(そもそも、従兄弟だったことを私は、今回知ったのですが……)
その断絶の背景には40数年前に起きた両家の揉め事がありました。
そして今回の共演は、時間をかけて少しずつ修復されてきた家族の絆の証でもあるんです。
この記事では、高嶋ちさ子さんと髙嶋政伸さんが絶縁状態になった理由や、その後どうやって関係が改善されたのか、さらに高島忠夫さんのご家族に起きた悲しい出来事についても詳しくまとめました。
気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
高嶋ちさ子と髙嶋政伸が「プラチナファミリー」で共演!いとこなのに絶縁状態だった?
2026年6月16日、テレビ朝日系で放送の「プラチナファミリー 華麗なる一家をのぞき見 高嶋ちさ子を作った父・母・兄姉・親戚・ご近所さんまで大集合!爆笑3時間SP」で、高嶋ちさ子さんと髙嶋政伸さんが共演されます。
番組では「ちさ子を育てた両親」にスポットを当て、ちさ子さんの父・音楽プロデューサーの高嶋弘之さん、そしていとこの髙嶋政伸さんがスタジオに登場します。
高嶋家ならではの濃密なエピソードが披露されるということです。
実は、この二人がテレビで共演したのは2022年の「ザワつく!大晦日」に続いての貴重な機会なんです。
幼い頃は「ちーちゃん」「あーちゃん」と呼び合って遊んでいた二人ですが、きちんと会ったのは48年ぶりだったといいます。
なぜそんなに長い間、会うことがなかったのでしょうか?そこには家族間の複雑な事情がありました。
高嶋ちさ子と髙嶋政伸の関係をおさらい
二人はいとこ同士!父親が兄弟だった
高嶋ちさ子さんと髙嶋政伸さんは、父親同士が兄弟という間柄のいとこです。
髙嶋政伸さんの父は、俳優の高島忠夫さん(2019年逝去)。
母は元宝塚歌劇団の寿美花代さんです。
一方、高嶋ちさ子さんの父は、音楽プロデューサーの高嶋弘之さん。
高島忠夫さんの実弟にあたります。
高島忠夫さん一家は、父・忠夫さん、母・寿美花代さん、二男・髙嶋政宏さん、三男・髙嶋政伸さんという「家族4人が俳優」という有名な芸能一家です。
対して、弘之さん一家は、父がレコード会社のディレクター、母がピアニストという音楽一家でした。
ちさ子さん自身、かつて雑誌のインタビューでこう語っています。
「家が近所だということで、小さいころは、しょっちゅう遊びに行ってました。政宏君や政伸君ともよく遊んだなぁ」(『アサヒ芸能』1998年1月15日号)
当時は東京都の同じ区内に住んでおり、自動車なら10分もかからない距離。
両家は頻繁に行き来する仲良し親戚だったんですね。
絶縁状態だった期間はどれくらい?
高嶋ちさ子さんがバイオリニストとしてデビューした1995年当初は、「高島忠夫の姪」「政宏・政伸兄弟のいとこ」などと紹介されることも多かったそうです。
しかし、ある時期から、ちさ子さんも政宏さん・政伸さんも、お互いのことを公の場でいっさい話さないようになりました。
高島忠夫さんが2019年6月に逝去した際も、ちさ子さんは追悼コメントを出さず、密葬にも参列しませんでした。
弘之さん自身も、インタビューで「気がついてみたら20年以上もたってしまった」と語っています。
つまり、長い絶縁状態があったということです。
家族それぞれに事情があるんですよね。
40数年前に何があった?両家が断絶した理由
父親同士の揉め事が原因だった
長年の絶縁状態の原因について、ちさ子さんの父・弘之さんが2019年に女性自身の取材に応じて真相を語りました。
弘之さんによると、きっかけは1998年に起きた母親(高嶋兄弟の母)の介護問題だったといいます。

きっかけといえば、母の介護問題かな。
兵庫県で暮らしていた母が、うつ病になったので、
’98年に東京の医療施設に入れたんです。
でもこのとき母の介護方針を巡って兄とひどい口論になってしまって……。
兄貴は昔から穏やかだったから、兄弟げんかなんかもしたことがなかったのにね。
家族の介護って、本当にデリケートな問題ですよね。
私も両親の将来を考えると、介護方針で家族の意見が分かれることもあるんだろうなと想像します。
大切な母親を思うからこその口論だったのでしょうが、結果的に深い溝を生んでしまったんですね。
具体的にどんな揉め事だったのか
一方で、2013年の報道では金銭感覚のズレや生活レベルの差も指摘されていました。
高島忠夫さんは人気俳優、寿美花代さんは元宝塚のスターという共働き夫婦で、収入も生活レベルも華やかな芸能人家庭。
対して、弘之さんは音楽業界では有名でも、あくまでレコード会社のサラリーマンでした。
ちさ子さん自身が数年前の対談で、こんなエピソードを語っています。

あちらは共稼ぎで、奥様は当時の宝塚のスターですからね。
よく食事に呼んでもらってすきやきを食べると、肉が違うんですよ。
『こんなおいしいお肉、兄にも食べさせたいです』
なんて私が言うと、次に兄が呼んでもらえる。
また、ちさ子さんが6歳でバイオリンを始めたときには、寿美花代さんが「お金がかかるのに大丈夫なの?」と言ったことが、両家の関係をさらに悪化させたとも言われています。
悪気はなかったのかもしれませんが、受け取る側にとっては「上から目線」と感じられてしまったようです。
それ以降、交流が途絶えた経緯
1998年といえば、高島忠夫さん自身が不眠とアルコール依存により、重度のうつ病を発症した時期でもあります。
弘之さんは振り返ってこう語りました。

振り返ってみて、彼も病気のせいで感情のコントロールができなかっただけなんだと理解できました。
でも兄の病気のことを知ると、今度は『治療の邪魔になってもいけないなぁ』なんて考えて、連絡もとれないし、訪ねていくこともできないし。
お互いの家族も行き来しなくなって、そうこうしているうちに、気がついてみたら20年以上もたってしまったんですね。
お互いを思いやるからこそ距離を置いた結果、時間だけが過ぎてしまった——。
切ないですが、そういう家族関係って意外とあるのかもしれません。
2017年には弘之さんの妻(ちさ子さんの母)が逝去しましたが、このときも「向こう(高島忠夫一家)には連絡しませんでした」とのこと。
完全に疎遠な状態が続いていたんですね。
数年前に告白された絶縁の真相とは?
高嶋ちさ子が語った当時の状況
ちさ子さん自身は、過去の対談で子供心に感じた生活レベルの差について語っています。
家の大きさ、食べ物の質、もらうプレゼントの違い——。
子供の頃は純粋に「うちと違う…」と感じていたそうです。
そして、バイオリンを始めたときの寿美花代さんの言葉が、ちさ子さん一家には「余計なお世話」と映ってしまいました。
ただ、大人になって振り返れば、寿美花代さんに悪気はなく、心配からの一言だったのかもしれません。
でも、当時の関係性や言い方によっては、傷つく言葉になってしまうこともありますよね。
髙嶋政伸側の反応や発言は?
髙嶋政伸さん側からの具体的な公式発言は多くありませんが、2019年に高島忠夫さんが逝去した際、政宏さんから「父のことが落ち着いたら、叔父さんのところへもご挨拶に行きますから」とちさ子さんに連絡があったそうです。
この連絡が、両家の和解へ向けた最初の一歩だったようですね。
高嶋忠夫さんの葬儀後頃から関係が改善
両家の関係が徐々に良好になった経緯
2019年6月に高島忠夫さんが88歳で逝去。
この出来事が、両家の関係に変化をもたらしました。
弘之さんは当時のインタビューでこう語っています。
「実は忠夫さんの逝去をきっかけに、両家の歩み寄りのきざしも見えているという。政宏から、うちのちさ子に連絡があったそうなんです。『父のことが落ち着いたら、叔父さんのところへもご挨拶に行きますから』なんて、言ってくれていたと聞いています」
21年もの空白があったにもかかわらず、弘之さんの兄・忠夫さんに対する思いは薄れていませんでした。
「家族のおかげで兄貴は、いい人生を全うできたと思います。特に花代さんは、ずっと兄を看病してくれて、頑張ってくれていたそうですから、いまは落ち込んでいるでしょうね」
人生の転機って、家族を見つめ直すきっかけになりますよね。
私も母を亡くした経験があるので、「もっと話せばよかった」と思う気持ち、よく分かります。
現在は良い関係に!共演できるまでに
そして2022年12月31日、テレビ朝日「ザワつく!大晦日」で、ちさ子さんと政伸さんが48年ぶりに再会し、テレビ初共演を果たすということです。
番組内では、幼い頃に「ちーちゃん」「あーちゃん」と呼び合っていた思い出を語り合い、チグハグながらも微笑ましい会話が展開されました。
そして2026年6月の「プラチナファミリー」でも共演が実現したのです。
時間はかったけれど、家族の絆は戻ってきたんですね。
弘之さんが言う

『疎遠』とか『絶縁』というと、世間から変な一族だと思われるでしょうけど、いまとなるとこれが『高嶋家のスタイル』という感じもしますね
という言葉には、達観した優しさを感じます。
高島忠夫さんのご家族に起きた悲しい出来事
今回の絶縁の理由とは全く別の話ですが、高島忠夫さん・寿美花代さんご夫妻には、過去に大変悲しい出来事がありました。
1964年8月24日、東京都世田谷区の高島家で、生後5ヶ月の長男・道夫ちゃんが浴槽で溺死しているのが発見されました。
犯人は、住み込みで働いていた当時17歳の家政婦でした。
犯行動機は、歪んだ独占欲からくるものでした。
もともと寿美花代さんの大ファンだった彼女は、高島家での仕事に誇りを持ち、夫妻からも信頼されていました。
しかし長男が誕生すると、夫妻の愛情が赤ちゃんに移ったと感じ、「この赤ちゃんさえいなければ夫妻の愛情が自分に戻る」という考えに至り、衝動的に犯行に及んだといいます。
家政婦は殺人罪で起訴され、1965年6月に東京地裁で懲役3年から5年の不定期刑を言い渡されました。
しかし、ご夫妻の心の傷は計り知れません。
寿美花代さんは事件から49年経った2013年の時点でも、浴槽に浸かれずシャワーのみで済ませていると語っています。
また、後に生まれた二男・政宏さんと三男・政伸さんは、両親の強い不安から、子供時代はロケ先にも必ず同行させられていたそうです。
愛する我が子を失うという悲しみは、親として想像を絶するものです。
そして、その後も政宏さん・政伸さんを懸命に育て上げた高島忠夫さん・寿美花代さんご夫妻の強さと愛情に、心から敬意を感じます。
高嶋ちさ子と髙嶋政伸の簡単プロフィール
高嶋ちさ子のプロフィールと経歴
高嶋ちさ子(たかしま ちさこ)
・生年月日:1968年8月24日
・出身地:東京都
・職業:バイオリニスト
・父:音楽プロデューサー・高嶋弘之
・母:ピアニスト
・配偶者:盛田賢司(1999年結婚)
6歳でバイオリンを始め、桐朋学園大学卒業後、イェール大学大学院に留学。
1995年にバイオリニストとしてCDデビューしました。
現在は演奏活動だけでなく、バラエティ番組でも活躍する人気タレントです。
歯に衣着せぬ物言いと明るいキャラクターで知られ、「12人のヴァイオリニスト」を率いてコンサートツアーも行っています。
髙嶋政伸のプロフィールと経歴
髙嶋政伸(たかしま まさのぶ)
・生年月日:1966年10月29日
・出身地:東京都
・職業:俳優
・父:高島忠夫(俳優、2019年逝去)
・母:寿美花代(元宝塚歌劇団)
・兄:髙嶋政宏(俳優)
1985年に俳優デビュー。
ドラマ「DOCTORS~最強の名医~」シリーズをはじめ、数々のドラマ・映画・舞台で活躍しています。
2010年に美元さんと結婚しましたが、2015年に離婚しています。
現在は一般女性の方と結婚しています。
世間の反応やSNSの声
「プラチナファミリー」での共演や、過去の絶縁報道に対して、SNSではこんな声が見られました。
・「48年ぶりの再会とか感動すぎる!」
・「いとこ同士なのに絶縁してたなんて知らなかった」
・「家族の問題って複雑ですよね。でも和解できてよかった」
・「高嶋ちさ子と髙嶋政伸が親戚だったことに驚き」
・「両家とも大変な思いをしてきたんだなぁ」
家族の絆が戻ったことを喜ぶ声が多く、共感する人も多いようです。
まとめ:絶縁から和解へ!家族の絆が戻った感動ストーリー
高嶋ちさ子さんと髙嶋政伸さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
・二人はいとこ同士で、父親同士が兄弟
・1998年の母親の介護問題をきっかけに、父親同士が口論し両家が疎遠に
・生活レベルの差や金銭感覚のズレも指摘されていた
・約20年以上にわたって絶縁状態が続いた
・2019年の高島忠夫さん逝去をきっかけに関係改善の兆し
・2022年に48年ぶりに再会し、テレビ初共演を果たした
・2026年の「プラチナファミリー」でも共演し、良好な関係に
家族の確執って、きっかけは些細なことでも、時間が経つにつれて修復が難しくなってしまうものですよね。
でも、高嶋家のように時間をかけて少しずつ歩み寄ることで、再び絆を取り戻すこともできるんだと教えてもらいました。
「ゆるやかに」「まろやかに」を大切にする私にとって、この和解のストーリーはとても心に響きます。
家族との時間を大切にしたいという気持ちが、改めて強くなりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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