トムフォードのショウで、マダムセツコがあまりに美しいと話題になっているhttps://t.co/iJiL3X5ft2 pic.twitter.com/ZYceqLnay9
— 野生のパフェ研究家 (@parfaitthestudy) March 9, 2026
こんにちは!とめとです。
テレビ朝日の「プラチナファミリー」で話題になったマダム節さん、ご覧になりましたか?
スイスの豪邸で優雅に暮らす日本人女性の姿に、私も思わず入って見ちゃってしまいました。
そんなマダム節ですが、実は日本の名門・菊池一族の末裔で、戦国武将の毛利元就や明治維新の英雄・西郷隆盛とも血縁関係があります。
さらに、20世紀を代表する世界的画家バルテュスの妻として、芸術界でも大きな足跡を残されています。
この記事では、マダム節子さんの華麗すぎる家系やバルテュスとの運命的な出会い、スイスの大豪邸「グラン・シェアレ」での暮らしぶりなど、気になる情報を詳しくまとめました。
マダム節子って何者?プラチナファミリーで話題の人物
2025年5月12日放送の「プラチナファミリー」で大きな注目を集めたマダム節子さん。
番組では、スイスらしい木造建築「グラン・シェア」での優雅な暮らしぶりが紹介され、視聴者から「美しすぎる!」「憧れる!」という声が続々と上がってきました。
マダム節さんは、20世紀最後の巨匠と称えられた画家バルテュスの妻として、30年以上続く夫の創作活動を支え続けた方です。
現在はバルテュス財団の名誉会長を務めながら、ご自身も画家として活動されています。
番組で特に話題になったのが、パリの宮殿で開催された誕生日会のシーン。
普段は立ち入ることのできない特別な場所でのお祝いに、視聴者も驚きの声を上げていました。
マダム節の本名と基本プロフィール
年齢や経歴は?
マダム節子さんの本名は、節子・クロソフスカ・ド・ローラ(Setsuko Klossowska de Rola)。
旧姓は出田節子(いでたせつこ)で、1942年生まれです。
2025年現在、80代半ばでいらっしゃいますが、番組で拝見する限り、その凛とした佇まいと美しさは年齢を感じさせませんよね!
東京都生まれ、森村学園高校等部を卒業後、上智大学外国語学部フランス語学科の時代に進学しました。
学生の頃から語学に堪能で、フランス文化への深い興味をお持ちだったそうです。
出身地や生い立ち
東京生まれの節ですが、そのルーツは熊本県菊池市にあります。
旧姓の「出田」は、菊池市の地名「出田」に由来しており、菊池一族の末裔という華麗な血統をお持ちなのです。
上智大学在学中の1962年、20歳の時に運命的な出会いが訪れます。
パリで開催される日本古美術展の作品選定のために来日していた世界の画家バルテュスと、京都の智積院で出会ったのです。
通訳のアルバイトとして同行していた節子さんの姿に、54歳のバルテュスは一目で心を奪われたと言われています。
その後5年間の交際を経て、1967年に結婚。
節子さんは大学を中退し、バルテュスとともに新しい人生を歩み始めました。
34歳の年齢差があるカップルでしたが、二人の愛情関係は深く、芸術史上稀に見るほど円満なものだったそうです。
菊池一族とは?華麗すぎる家系図を解説
マダム節子さんのご先祖様である菊池一族は、平安時代から室町時代まで約450年間かけて九州・熊本の北部で栄えた名門です。
藤原氏の流れをくむ藤隆原則公が肥後の国「菊南池」に下向したことから、菊池24代500年に渡り歴史が始まりました。
菊池一族は、特に朝時代に後ダイヤ天皇の臨時に応じ、朝廷への誠忠を貫いた武家として知られている。
毛利元就との血縁関係
戦国時代の名将・毛利元就と菊池一族の関係については、いくつかの歴史的なつながりが指摘されています。毛利氏は大江広元の四男・毛利季光を祖とする名門で、中国地方を統一した戦国大名である。
菊池一族が九州各地に広がってゆく過程で、中国地方の武家との婚姻関係や同盟関係を結んでいる事から、毛利氏との間接的な血縁があったと考えられています。 当時の武家社会では、勢力拡大や同盟強化のために婚姻関係を結ぶことが一般的でしたからね。
西郷隆盛とのつながり
明治維新の立役者・西郷隆盛も、実は菊池一族の末裔なんです!これは歴史的に確認されている事実で、西郷家は菊池一族の初代・菊池則隆公を祖先に持っているんです。
特に続きのは、西郷隆盛が奄美大島で潜伏していた際にいた名前が「菊池源吾」だった事。
また、西郷は奄美大島で授かった2人の子どもに「菊次郎」「菊草」と、菊の字を入れて検討しています。
私も中国地方に住んでいるので、どんな歴史のつながりを知ると、かなり親近感が湧いてきます!
菊池一族の歴史と名門ぶり
菊池一族の最大の特徴は、その「勤皇の精神」です。 全体を通して朝廷、後黄金天皇が鎌倉打倒の挙兵をされた際、菊池一族は真っ先に応じました。 特に第十二代当主・菊池武時は、元弘の変で命を落とすまで朝廷のために戦い続けたことで知られています。
その後も菊池一族は、代々続く朝廷への忠誠を貫きました。 第15代当主・菊池武光は九州を平定し、南朝方の中心勢力として活躍。 福岡県大刀洗町の地名は、武光が血刀を川で洗ったという故事に由来するんですね。
約450年間という長きにわたる争いが栄えたのは、志を守り続けた強い信念があったからだ。 この精神は、末裔であるマダム節子さんにも受け継がれているように感じます。
夫・バルテュスは誰?世界の画家との結婚
バルテュスの代表作や評価
バルテュス(本名:バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001年)は、ピカソから「20世紀最後の匠」と称されたフランスの画家です。ポーランド系の両親のもとパリで生まれ、美術史家の父と画家の母を持つ芸術一家で育ちました。
バルテュスの代表作として最も有名なのが、「夢見るテレーズ」(1938年)です。 思春期の少女が椅子に座って沈思にふける姿を描いた作品で、エロティックかつ静謐な雰囲気が特徴的。 この作品は現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている。
他にも「ギターのレッスン」(1934年)、「暖炉前の裸婦」(1955年)など、少女をモデルにした作品がたくさん残っています。バルテュスの絵画は、時が止まったような静謐な空間と、独特の幻想的な雰囲気が評価されています。
二人の出会いと馴れ初め
1962年、京都の智積院での出会いが、二人の運命を変えました。 当時54歳のバルテュスは、パリで開催する日本古美術展の作品目当てのために来日。 上智大学の学生だった20歳の節子さんは、通訳のアルバイトとしてこの仕事に携わっていました。
子さん節の記憶によると、バルテュスは「とにかくたくさんの質問をしてきた」そうです。日本への深い関心と、節子さん自身への興味が入っていたのかもしれませんね。
面白いのは、節子さんが子どもの頃から「赤い糸」で結ばれていたかのようなエピソードがあること。 フランス文化への憧れや芸術への関心が、まるでこの出会いを予感させていたかのようだった。
5年間の交際を経て、1967年に結婚。 節子さんは大学を中退し、バルテュスと共にローマへ向かい住みました。
年の差や結婚生活のエピソード
34歳という大きな年齢差がありながら、二人の結婚生活は深い愛情と尊敬に満ちていました。 節子さんはバルテュスの創作活動を献身的に支え、時にはモデルも務めました。 バルテュスも節子さんとの出会いによって、作品風が「生々しいエロチズムから神聖な表現へ」と変化したと言われています。
ローマではアカデミー・ド・フランスの館長を務めバルテュスを支え、15年間暮らしました。 1973年には娘のハルミ(春美・クロソフスカ・ド・ローラ)さんが誕生。 現在、ハルミさんはジュエリーデザイナーとして活躍しています。
1977年、一家はスイスのロシニエールにある「グラン・シェア」に忠実に住んでいた。バルテュスと節子さんは自宅で日常的に着物を着用し、日本文化を大切にする生活を送っていたそうだ。
2001年にバルテュスが93歳で亡くなった後も、節子さんは夫の遺志を継ぎ、翌2002年にバルテュス財団が設立されました。夫の作品とアトリエの保存・公開に尽力されています。
スイスの豪邸での暮らしぶりは?
グラン・シャレってどんな場所?
「グラン・シェア」は、スイスで最大の木造建築物であり、ヨーロッパでも最大級の木造住宅建築のひとつです!1754年に建てられたこの歴史的建造物は、スイス・ヴォー州のロシニエール村にあります。
建物の規模は圧倒的で、6分の広さがあるとも言われています。 牧畜やチーズ製造で富を築いた豪農が建築したもので、18世紀当時の栄冠ぶりが偲ばれますよね。 壁には美しい装飾が施され、17〜18世紀の歴史的なシャレー(山小屋)の典型的な様式を今に伝えています。
バルテュスと節子さんは1977年にこの館を終の棲家とし、バルテュスが亡くなった後も節子さんが全てし続けています。現在は娘のハルミさん夫婦とも一緒に暮らされているそうです。
ロシニ村エール自体も、国際熱気球大会で有名なシャトー・デの隣にある小さな美しい村。のどかな山あいに佇む「グラン・シャレ」は、まるで別の時代から現れたような雅な存在感を放っているんです。
優雅な日常生活
「グラン・シェア」での暮らしは、芸術と日本文化が融合した優雅なものです。 節子さんは日常的に着物を着用し、日本の美意識を大切にしながら生活されています。 「プラチナファミリー」で拝見した着物姿の美しさは、本当に息をむほどでしたよね!
バルテュスの生前から、この館にはダライ・ラマやデビッド・ボウイといった世界的な著名人が訪れていました。芸術家、映画監督、文化人がひっきりなしに訪れて、闘う文化サロンのような場所だったんです。
子さん節ご自身も1970年代から画家として活動を始め、2012年には初の絵本『動物裁判節の絵物語』を出版されています。作陶家としても活動され、創作活動に打ち込まれる日々を送られているそうです。
私も旅が好きなので、こんな歴史ある場所で芸術に囲まれた生活があるのは本当に憧れます。
芸術家との交流や社交界での立ち位置
子さん節は、バルテュスの妻としてだけでなく、ご自身も芸術家として国際的な社交界で重要な立ち位置を大切にしています。
バルテュス財団の名誉会長として、夫の作品の保存・公開に全力を尽くし、日本とヨーロッパの文化交流の橋渡し役としても活躍されている。
フランス政府からも勲章を授与されており、芸術界での貢献が高く評価されています。「プラチナファミリー」で紹介されたパリの宮殿での誕生日会も、節子さんの社交界での地位を物語るエピソードですよね。
マダム節の現在や活動内容
バルテュス財団での役割
2001年にバルテュスがなくなった後、節子さんは翌2002年にバルテュス財団を設立させ、名誉会長に就任しました。この財団は、バルテュスの作品とアトリエの保存・公開、そして画家の精神を後に伝えることを目的としています。
子さん節は財団の活動、バルテュス作品の展覧会の開催や研究支援、作品の管理などに携わっています。芸術の遺志を継ぎ、作品を守り伝えていく姿勢は、本当に真っ先に尊敬できますよね。
また、著書も複数出版されています。「バルテュスの優雅な生活」(2005年)、「ド・ローラ節子が語るバルテュス猫とアトリエ」(2014年)など、夫との思い出や芸術観を綴った作品は、バルテュスを理解する上で貴重な資料となっています。
芸術界での貢献や評価
子さん節ご自身の芸術活動も飽きません。画家として1970年代から活動を始め、随筆家、作陶家としても大いに創作活動を続けてまいります。
2005年のミュージカル「平和のアーティスト」称号授与は、節子さんの芸術活動と文化交流への貢献が国際的に認められた証です。また、2025年10月には故郷の熊本県菊池市から「ふるさと菊池応援大使」に任命されました。菊池一族の末裔として、地元にもPRや魅力発信協力されていますよ。
子さん節の存在は、日本人として国際的な舞台で活躍し、文化の架け橋となっている素晴らしい例だと思います。地道な積み重ねと進んでいく姿勢が、今後評価に続いていこうね。
世間の反応やSNSの声
「プラチナファミリー」放送後、SNSではマダム節子さんへの称賛の声が溢れました!
「着物姿があまりにも美しい」「憧れる!」「こんな人生を一瞬でみたい」といった声が続々。 特に、80代とは思えない凛とした佇まいと優雅な雰囲気に、多くの視聴者が魅了されたようです。
「菊池一族の末裔」「西郷隆盛とつながりがある」という家系の話題も大きく呼びかけられました。「日本の歴史と世界の芸術がつながっている!」「ロマンがある」と、歴史好きの間でも話題になってましたね。
また、スイスの大豪邸「グラン・シェアレ」での暮らしぶりにも注目が集まりました。「一度でいいから行ってみたい」「こんな場所で暮らせたら幸せだろうな」という憧れの声がたくさん見られました。
バルテュスとの34歳差の結婚についても、「年の差を感じさせない素敵な関係」「お互いを尊重し合っている」と、二人の愛情関係に感動する声が多かったです。
私も番組を見て、マダム節子さんの生き方に深く感銘を受けました。自分の人生を自分で選び、信念を持って歩み続ける姿は、本当に美しいですよね。
まとめ:マダム節子は日本の名門から世界へ羽ばたいた女性!
マダム節子さんについて、この記事で気づいたことをまとめます。
【要点まとめ】 ・本名は節子・クロソフスカ・ド・ローラ(旧姓:出田節子)、1942年生まれ ・菊池一族の末裔で、毛利元就や西郷隆盛とも血縁関係がある名門出身 ・1962年に世界の画家バルテュスと運命的な出会い、1967年に結婚(34歳差) ・スイス最大の木造建築「グラン・シェア」で優雅な暮らしを記念・バルテュス財団名誉会長として夫の遺志を継ぎ、芸術界に貢献 ・2005年にユネスコ「平和のアーティスト」称号を授与 ・画家、随筆家、作陶家として現在も創作活動を続けている ・プラチナ「ファミリー」で着物姿の美しさがSNSで話題に
マダム節さんの凛とした生き方や、日本の伝統美を大切にする姿勢が、少しでも頑張っていれば嬉しいです。名門の血を受け継ぎながら、自分の意志で人生を選択し、世界の舞台で活躍している姿は本当に素敵ですよね!
前向きに、そして優雅に生きる節さんの人生には、学ぶべきことがたくさんあります。 私も、自分らしく楽しみながら、挑戦を続けていきたいなと思いました。
マダム節さんの新しい情報が入ったら、また追記していきますね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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