ファンダイク・ガクポvs遠藤航!板倉・冨安vsウェクホルスト!W杯日本vsオランダのチームメイトの舞台裏

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2026年6月14日、テキサス州アーリントン。AT&Tスタジアムの8万人超が見守る中で、サッカーという競技が時折生み出す、残酷で美しい物語が幕を開けます。

この試合には、スコアボードには映らない「もう一つの試合」が存在します。

リバプールで毎日同じロッカーを使い、同じ練習場で汗を流し、同じバスで移動してきた4人の男たち。アヤックスで毎朝顔を合わせ、毎日のトレーニングで体をぶつけ合ってきた3人の男たち。彼らがこの日だけ、敵になる。

昨日までパスを出し合っていた相手のゴールを奪いに行く。昨日まで守備を助け合っていた仲間のシュートを体を張って止めに行く。

「仲間の弱点を知っている。だから怖い。」

これは、そんな7人の選手たちの物語です。


第1章|アンフィールドの絆が引き裂かれる90分間 —— リバプール対決

🇳🇱 ファン・ダイク、フラーフェンベルフ、ガクポ ⚔️ 🇯🇵 遠藤航


キャプテンマークの記憶

2025年7月30日、横浜・日産スタジアム。

リバプールのプレシーズンツアーで行われた横浜F・マリノスとの親善試合に、67,032人が詰めかけました。0-1で迎えた後半14分、アルネ・スロット監督がベンチに目をやり、一人の選手の名前を呼びます。

遠藤航。

通常、プレシーズンマッチの選手交代はまとめて行われるのがセオリーです。しかしこの瞬間、遠藤だけがピッチに送り出されました。交代でベンチに下がるのはフィルジル・ファン・ダイク。リバプールのキャプテンです。

ファン・ダイクは自分の腕に巻かれたキャプテンマークを外すと、まっすぐ遠藤のもとに歩み寄り、その左腕にそっと巻きました。

日産スタジアムが揺れるような歓声。6万7千人の拍手の中を、遠藤はリバプールのキャプテンマークを腕に巻いてピッチに走り出しました。

「リバプールの選手として日本に帰ってきて、キャプテンマークを巻くことができた。自分にとって本当に特別な瞬間だった」

遠藤は後にそう振り返っています。ファン・ダイクはこの行為について多くを語りませんでした。ただ一言、こう言ったと伝えられています。

「エンドウの故郷だからね。当然のことだよ」

何気ない言葉に、2年間一緒に戦ってきた者同士の信頼と敬意が凝縮されていました。

しかし、あの日から約11ヶ月後。同じ2人が、今度は敵として向き合います。ファン・ダイクの最終ラインから放たれるロングフィードを、遠藤は全力で止めに行かなければなりません。キャプテンマークを渡してくれた手を、今度は振り払わなければなりません。


「日本と対戦したいと思っているよ」

2025年12月、FIFAワールドカップの組み合わせ抽選が行われ、オランダと日本がグループFで同組に入ることが決まった直後のことです。リバプールのトレーニング施設・メルウッドで、ある会話が交わされました。

遠藤航自身が著書『STEP 夢を叶える33のブースター』(2026年6月12日発売)のプロローグで明かしているエピソードです。

「日本と対戦したいと思っているよ」

チームメイトのコーディ・ガクポが笑いながら話しかけてきた。

ガクポの笑顔の奥には、2022年カタールW杯で3ゴールを決めた男のプライドが見え隠れしていたはずです。あの大会でガクポは一気にスター選手へと駆け上がりました。W杯こそが自分の舞台だという自負がある。その舞台で、毎日一緒に練習している日本のキャプテンと戦えるなら、これほど面白いことはない——そんな感情が伝わってくるようなひと言です。

遠藤とガクポの関係は、リバプールの中でも特別なもののようです。遠藤はあるインタビューで「リバプールで仲が良いチームメイトは?」と聞かれ、少し考えた後にガクポの名前を挙げたことがあります。リバプールの公式メディアも「ピッチの上でも外でも、僕たちは家族のように近い」というチームの雰囲気を伝えています。

しかし、「仲が良い」ことと「手加減する」ことは、まったくの別物です。ガクポの193cmの長身から繰り出されるカットイン、ヘディング、左足のシュート——それらを全力で止めに行く覚悟が、遠藤にはあるはずです。そしてガクポもまた、遠藤のデュエルの強さを誰よりも知っているからこそ、本気で挑む。

「対戦したい」という言葉は、友情の裏返しです。相手の強さを認めているからこそ、倒したいと思える。仲間だからこそ、最高の敵になれる。


6番を巡るライバルストーリー —— フラーフェンベルフ vs 遠藤航

リバプール対決の中で、最も直接的でヒリヒリするマッチアップがここにあります。

ライアン・フラーフェンベルフと遠藤航。2人はリバプールでまったく同じポジション——アンカー(6番の役割)を争うライバルです。

物語は2023年夏に遡ります。遠藤がリバプールに加入した時、フラーフェンベルフはまだバイエルンから移籍してきたばかりの若手控え選手でした。ユルゲン・クロップ監督の下では遠藤がアンカーの一角としてプレーし、プレミアリーグ、CLの舞台で存在感を示していました。

しかし2024-25シーズン、アルネ・スロット監督が就任すると、風向きが変わります。スロットはフラーフェンベルフをアンカーの主軸に据え、24歳の若者は一気に覚醒しました。190cmの長身、テクニック、ダイナミズム——全てを兼ね備えたフラーフェンベルフは、プレミアリーグ屈指のMFへと成長していきます。

一方の遠藤。2024-25シーズンのプレミアリーグ出場は17試合・わずか157分。試合終盤の途中出場がほとんどで、先発機会は激減しました。現地メディアの記者は「ご覧の通り。エンドウはベンチ」と書き、スロット監督は記者会見で「フラーフェンベルフがチーム最悪の出来というわけではない」とやんわり遠藤の出番が少ない理由を説明しました。

2025-26シーズンも状況は大きくは変わりませんでした。プレミアリーグ8試合、先発はわずか1試合。フラーフェンベルフが全38試合にフル出場する傍らで、遠藤の出場時間は限られたものでした。数字だけを見れば、ポジション争いは「決着がついた」ように映ります。

しかし、遠藤は腐らなかった。

怪我人が出た試合でCBとして緊急出場した際には、同僚から「本当に多才な選手だ。彼は決して失望させない」と称賛を受けました。ファン・ダイクは遠藤の怪我離脱時に「唯一残念だったのはエンドウの負傷だ」とコメント。チームメイトやスタッフから向けられるリスペクトは、出場時間とは関係なく、揺るぎないものでした。

そして遠藤は、W杯直前に発売される自身の著書でこう書いています。

「日本代表でワールドカップ優勝」は「夢」ではなくなった。

これは諦めたという意味ではありません。むしろその実現に大きく近づいた——つまりステップアップできたことで、「夢」が「目標」に変わったという意味です。世界最高峰のクラブで、世界最高の選手たちと毎日戦い続けてきたからこそ、「倒せない相手ではない」と分かっている。フラーフェンベルフに定位置を奪われた悔しさが、遠藤を弱くしたのではなく、むしろ強くしたのかもしれません。

6月14日、遠藤はフラーフェンベルフと中盤で正面からぶつかります。

フラーフェンベルフのターンの方向、ボールの置きどころ、パスコースの選び方——遠藤はそれを誰よりも知っている。逆に、遠藤のプレスの走路、デュエルのタイミング、インターセプトの間合い——フラーフェンベルフもまた、毎日の紅白戦で最も多く対峙してきた相手として、全てを体に刻んでいる。

手の内を知り尽くした者同士の勝負。そこに「リバプールでの2年間」の全てが凝縮されます。


3対1の構図——それでも遠藤は一人で立ち向かう

リバプール対決の構図を改めて整理すると、オランダ側に3人、日本側に1人という圧倒的な数的不利が浮かび上がります。

ファン・ダイクのロングフィードは、遠藤にとって毎日の練習で見慣れたものです。右足から繰り出される正確な弾道、狙うタイミング、どのスペースに落とすか——それを読み切れるのは、世界でも遠藤だけかもしれません。しかし同時に、ファン・ダイクも遠藤のプレスの走路を知り尽くしている。互いの「知識」が相殺されるのか、どちらかが上回るのか。

フラーフェンベルフとは中盤の主導権を巡る直接対決。ボール保持では世界屈指の能力を持つフラーフェンベルフに対し、遠藤が「デュエル王」としてのプレス強度で上回れるかが試合のカギを握ります。

ガクポの左サイドからのカットインも、遠藤はリバプールの守備ブロックの一員として何度も対応してきたはず。193cmの長身から放たれるシュートの軌道も、身体に刻まれています。しかし、「知っている」ことと「止められる」ことの間には、大きな距離がある。

3人のチームメイトを相手に、遠藤は一人で戦わなければならない。それでも、32歳の日本代表キャプテンはきっとこう考えているはずです。

「あいつらの強さも、弱さも、全部知っている。だから、怖くない。」



第2章|練習場の日常がW杯の武器になる —— アヤックス対決

🇳🇱 ウェクホルスト ⚔️ 🇯🇵 板倉滉、冨安健洋


アヤックス史上初の日本人——板倉滉の覚悟

2025年8月、一つのニュースがオランダと日本のサッカーファンを驚かせました。

板倉滉、アヤックスへ完全移籍。クラブ史上初の日本人選手——。

ボルシア・メンヒェングラートバッハ(ドイツ)で不動のレギュラーだった板倉が、オランダの名門への移籍を決断。ヨハン・クライフが築いた歴史を持つアヤックスに、その名を刻む最初の日本人となりました。

板倉自身もその重みを感じていたようです。オランダメディア『Aba Today』のインタビューでこう語っています。

「日本の年配の方たちは昔からアヤックスを知っています。僕がクラブ史上初の日本人選手だったので、日本で話題になりました。それは面白い経験でした」

加入後の板倉はすぐにチームの守備の柱となりました。エールディヴィジ18試合に出場し1ゴール。人生初のチャンピオンズリーグにも6試合出場を果たします。そしてオランダサッカー最大の一戦——フェイエノールトとの「デ・クラシケル」では、CBとしてフル出場し完封勝利に貢献。試合後のコメントには、名門クラブの一員としての自覚がにじんでいました。

「勝てて良かった。アヤックスにとって大きな試合。その意味を練習やロッカーから感じていました」

練習やロッカーから感じていた——この言葉が示すのは、板倉がアヤックスという組織の中で、単なる「外国人助っ人」ではなく、クラブの文化を理解し、その一部になっていたということです。そして、その文化の中には当然、チームメイトであるウェクホルストとの日々の切磋琢磨も含まれています。


484日間の暗闇を超えて——冨安健洋の復活劇

板倉の物語が「栄光への直進」だとすれば、冨安健洋の物語は「暗闘からの生還」です。

冨安は、アーセナルで度重なる怪我に苦しみました。ハムストリング、ふくらはぎ、膝——次々と襲いかかる故障の連鎖。2024年10月5日の試合を最後に、長期離脱を余儀なくされます。2025年7月にはアーセナルとの契約を解除。27歳のDFは、フリー(無所属)のまま日本に戻り、一人でリハビリを続けるという、プロサッカー選手にとって最も孤独な時間に向き合うことになりました。

冨安自身もその辛さを認めています。

「アーセナルであんなつらい目に遭うとは思わなかった」

この言葉の裏には、世界最高峰のクラブで活躍する夢を怪我によって奪われた悔しさ、そして先の見えないリハビリ生活への不安が詰まっていたはずです。

転機が訪れたのは2025年12月。板倉がすでにプレーしていたアヤックスが、2026年6月末までの短期契約で冨安の獲得を発表しました。W杯に間に合わせるための、最後の賭けとも言える決断です。「リスクヘッジの短期契約」と報じるメディアもありました。怪我の履歴が長い選手に長期契約は出せない、しかしポテンシャルは疑いようがない——アヤックスの判断は、現実的でありながら、冨安への敬意に満ちたものでした。

2026年2月1日、エールディヴィジ第21節エクセルシオール戦。80分から途中出場。484日ぶりの実戦復帰

サッカーファンならこの数字の重みが分かるはずです。1年と4ヶ月近く、公式戦のピッチに立てなかった選手が、再びスパイクの裏で芝を踏みしめた瞬間です。

しかし冨安はそこで立ち止まりませんでした。3月15日のフォレンダム戦では641日ぶりとなる先発出場を果たします。左SBとして起用された冨安は、鋭いドリブル突破から追加点を演出。攻守に躍動し、69分までプレーしました。

あの怪我さえなければ、冨安は今もアーセナルでプレミアリーグを戦っていたかもしれません。しかし、回り道の末にたどり着いたアムステルダムで、板倉というかけがえのない存在と再会し、W杯の舞台に辿り着こうとしている——その事実自体が、一つの物語です。


「知っている選手がそばにいるのは心強い」

板倉と冨安。この2人には、アヤックス以前からの深い縁があります。

子供の頃から互いの存在を知り、ユース年代では一緒にプレーした仲間。プロになってからはそれぞれ異なる道を歩みましたが——板倉は川崎フロンターレから仙台、フローニンゲン、ドイツへ。冨安はアビスパ福岡からシント=トロイデン、ボローニャ、アーセナルへ——2025年末、オランダの地で再び同じクラブのユニフォームを着ることになりました。

板倉はその再会を、飾らない言葉で語っています。

「彼がここにいることをとても嬉しく思っています。よく話もしますし、知っている選手がそばにいるのは自分にとって心強いです。これは僕にとって大きな影響があります。彼のことは子供の頃から知っていますし、ユースチームで一緒にプレーしたこともあります。それに、彼の加入はチームにとっても大きなプラスです。良い選手ですし、とても価値のある補強です。彼がどうやってチームに貢献できるかを僕はよく知っています」

「知っている選手がそばにいるのは心強い」——この言葉は、異国の地で戦うプロサッカー選手にとって、思った以上に大きな意味を持ちます。言葉の壁、文化の違い、日常の些細なストレス。それらを分かち合える存在が、パフォーマンスにも影響を与えることは、多くの海外組の選手が証言しています。

そしてこの「心強さ」は、W杯の舞台でも確実に生きてきます。板倉と冨安がCBコンビを組めば、それは「アヤックスでの日常」がそのまま日本代表に持ち込まれることを意味します。互いのカバーリングの範囲、声の掛け方、ラインの上げ下げのタイミング——日々のトレーニングで培われた阿吽の呼吸が、W杯の極限状態でこそ真価を発揮するはずです。


ウェクホルスト——”知り尽くされた男”の矜持

オランダ代表のワウト・ウェクホルスト。背番号9、197cm、84kg。

この長身ストライカーの名前を聞いて、多くのサッカーファンが真っ先に思い出すのは、2022年カタールW杯準々決勝アルゼンチン戦でしょう。

2-0とリードされた後半73分に途中出場し、78分にゴール。そして試合終了間際の101分にもゴール。2ゴールで試合をPK戦に持ち込み、メッシ率いるアルゼンチンをあと一歩まで追い詰めました。あの夜、ウェクホルストという名前は「大舞台で何かを起こす男」の代名詞になりました。

2025-26シーズン、アヤックスでエールディヴィジ21試合先発、8ゴール4アシスト。クロスに対するヘディングの精度、味方を活かすポストプレー、そして何より献身的にプレスをかけ続ける姿勢——33歳になっても、ウェクホルストの武器は錆びていません。

しかし、この試合においてウェクホルストには一つ、他の対戦相手にはない特殊な事情があります。

相手が自分のことを全て知っている。

毎日のトレーニングで、板倉はウェクホルストのヘディングの打点を体で覚えています。どの高さでボールに触るか、どちらの方向に首を振るか、助走の角度はどうか。冨安はウェクホルストのポストプレーで身体を使う時のクセを知っています。どちらの肩で相手を押さえるか、どのタイミングでターンするか。

逆にウェクホルストもまた、板倉のヘディングの競り方の特徴を知り、冨安のスピードとステップの癖を知っている。「知り尽くされている」のはお互い様です。

しかし、ウェクホルストには一つ、板倉と冨安にはない武器がある。それは「W杯で何かを起こしてきた実績」です。アルゼンチン戦の2ゴールは偶然ではありません。大舞台になればなるほど、追い詰められれば追い詰められるほど、この男は目の色が変わる。練習では見せなかった一面が、W杯のピッチでは顔を出す。そういうタイプの選手です。

オランダがリードを追う展開になれば、クーマン監督はほぼ確実にウェクホルストを投入し、ロングボールやクロスを放り込む「パワープレー」に出るでしょう。その時、日本のゴール前で最後の砦となるのが板倉と冨安です。

197cmのウェクホルストに対し、187cmの板倉が空中戦で競り合い、冨安がセカンドボールを拾う。この攻防は、アヤックスのトレーニングで数えきれないほど繰り返されてきた光景です。しかしこの日だけは、その結果がW杯のスコアボードに直結する。

知り尽くした相手を、止められるか。それとも、知り尽くされた相手の裏をかけるか。その答えは、ピッチの上でしか出ません。



第3章|「チームメイト」から「最高の敵」へ


2つの対決に共通するもの

リバプール対決とアヤックス対決。この2つのストーリーに共通しているのは、「日常が非日常に変わる瞬間」の美しさと残酷さです。

毎朝同じ食堂で朝食を取り、同じグラウンドでアップをし、紅白戦で激しくぶつかり合い、試合の後には一緒にバスに乗って帰る——そんな日々の積み重ねが、W杯という最高の舞台で「武器」にも「枷」にもなり得る。

遠藤航にとって、ファン・ダイクのロングフィードの軌道は「見慣れたもの」です。しかし、それを「止められるもの」にできるかは別問題です。板倉と冨安にとって、ウェクホルストのヘディングの打点は「知り尽くしたもの」です。しかし、W杯の舞台でそれを「封じられるもの」にできるかは、また別の話です。

「知っている」と「止められる」の間にある距離。それを埋められるのは、技術でも戦術でもなく、おそらく「覚悟」だけです。


遠藤航が背負うもの

遠藤航は、2026年6月6日に出版される自身の著書『STEP 夢を叶える33のブースター』のプロローグで、こう記しています。

最初に目指した夢は「サッカー選手になりたい」。小学生の頃だった。

そこからいろんな経験をするたびに夢は増えていく。「ワールドカップに出たい」「プレミアリーグでプレーしたい」「プレミアリーグで優勝したい」「日本代表でワールドカップ優勝」「息子と一緒にプロのピッチに立つ」……未来の自分を想像し続けた。

その点でこれまでの僕のキャリアは、夢を叶えるために必要なことを考え続け、それを判断基準にしたことで形作られてきたと言える。結果として最初の4つは実現し、「日本代表でワールドカップ優勝」は「夢」ではなくなった。

「サッカー選手になりたい」→ 実現。「ワールドカップに出たい」→ 実現。「プレミアリーグでプレーしたい」→ 実現。「プレミアリーグで優勝したい」→ 実現。

4つの夢を叶えた男が、5つ目の夢——「ワールドカップ優勝」——を、もはや「夢」ではなく「目標」として追いかけている。

その「目標」への最初の関門が、自分のことを最もよく知る3人の仲間です。

リバプールのロッカールームで、遠藤がどんな表情でこの試合を迎えるのか。ファン・ダイクがどんな目で遠藤を見るのか。ガクポがあの笑顔をピッチの上でも見せるのか。フラーフェンベルフが、毎日のライバルに対してどんなプレーで挑むのか。

それは、この試合が終わった後にしか分かりません。


板倉滉が感じた「オランダとの因縁」

板倉滉にとって、オランダは特別な場所です。

プロキャリアの初期にFCフローニンゲンでプレーした板倉は、当時のアヤックスと対戦した経験を持っています。そしてそのアヤックスには、フレンキー・デ・ヨングがいました。

「当時の彼らはとても強かったですし、とにかくすごかった。フレンキー・デ・ヨングもいたあのチームは本当に強かったです。当時、自分がアヤックスでプレーするとは思ってもいませんでした。オランダに戻って来るとは想像していませんでした」

フローニンゲン時代に「すごい」と思った名門アヤックスのユニフォームを着て、今度はW杯で母国と対戦する——サッカーは、こういう想像もしなかった物語を紡ぐスポーツです。

板倉はデ・クラシケルのような大一番でも冷静にプレーできることを証明しています。その経験値が、W杯という最大の舞台でどう発揮されるか。オランダという国のサッカーを肌で知っている板倉だからこそ、この試合で見せられるものがあるはずです。



エピローグ|6月14日、ダラスで

試合終了のホイッスルが鳴った後、7人の男たちはどうするのでしょうか。

おそらく、ユニフォームを交換するでしょう。抱き合うでしょう。勝った方も、負けた方も、互いの健闘を称え合うでしょう。そして翌日からは、それぞれの次の試合に向けて切り替えるでしょう。

しかし、90分間だけは——。

遠藤航はファン・ダイクのロングフィードを全力で止めに行くでしょう。フラーフェンベルフのターンを全力で潰しに行くでしょう。ガクポのカットインを全力で阻止しに行くでしょう。

板倉滉と冨安健洋は、ウェクホルストのヘディングを全力で跳ね返すでしょう。

そしてオランダの3人もまた、遠藤のデュエルを全力でかわし、板倉と冨安の壁を全力でこじ開けようとするでしょう。

「仲間の弱点を知っている。だから怖い。」

この言葉は、両方のチームに当てはまります。日本もオランダも、相手の弱点を知っている。だからこそ怖い。だからこそ、面白い。

2026年6月14日、ダラス。

チームメイトが最高の敵になる90分間が、もうすぐ始まります。

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